暑い日の小旅行

2023年8月18日 更新

早瀬淳

大阪本店

暑い日が続いています。睡眠をしっかりとり、適度な運動で汗をかくこと、そしてよく食べて、この暑さを乗り切っていきましょう。とは言え、私は先月末、チラシのポスティングで軽い熱中症。

1日ダウンしてしましました。が、現在は食欲旺盛で夏痩せどころか増量中です。良くない傾向ですが。

 

 7月の連休に徳島で美味しい、おいしい海鮮(伊勢海老:ウチワエビ:車エビ:アワビ:サザエ)を、[海女料理 宍喰]というところで,満喫してきました。もちろん美酒も。私は、瀬戸内海の小さな島で生まれ、幼少時を過ごしましたので、海の幸が大好きなのです。大満足でした。

 私には二人の姉妹がいるのですが、数年前から年に一度、三夫婦で一泊の食事会旅行をしています。

徳島と云えば、お決まりの鳴門の渦潮を船から、橋の中腹?(渦の道)から見てきました。観潮船のHPで、潮見表を確認して、良い時間に乗船しましたので、ダイナミックな大きな渦潮を見ることが出来ました。今日のお話は、美味しい料理の話しでも、有名な鳴門の渦や鳴門大橋の話しではありません。

 

 『うだつ(卯建)』の話です。うだつという言葉を聞いて何か思い当たりませんか。そうです、「うだつが上らない」のうだつです。

 徳島には美馬市脇町に「うだつの町並み」という保存地区があります。一応、建築関係の仕事をしていますので、「うだつ」が何かは知っていました。インターネットで徳島の名所、景勝を調べたところ、脇のうだつの町並みが紹介されていたので、是非見てみたいと思い足を延ばしました。

 徳島県美馬市脇町の吉野川北岸に、この町並みがあり、東西約430メートルの道の両脇に、江戸中期〜昭和初期に建てられた85棟が建ち並んでいます。

 間口4間半(8.19メートル)以上、奥行80メートル以上の建物もあり、建物で最古のものは、1707(宝永4年)年の棟札が確認されています。この時代の将軍は、「生類憐みの令」で知られる、徳川綱吉で、富士山の噴火、江戸の大火、地震や津波が続けて起こり、大きな災害を受けた時期でした。

 前置きはこれくらいで。

 うだつとは江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した、小屋根付きの袖壁(長屋の戸ごとの堺に取りつけたもの)で、当初は防火(延焼を防ぐ)の目的で作られましたが、設置に多額の費用が要したことから装飾の意味が強くなり、次第に富や成功の証しの象徴となっていきました。

 このことから、「うだつがあがらない」は、出世ができない、身分がぱっとしない事を意味し、裕福な家でなければ、うだつを上げられなかったことから転じたと云われています。

 ここ、脇のうだつの町並みは、城下町ですが、阿波藍の集散地として栄えた町並みで、寛政4(1792)年創業した、藍商の吉田 直兵衛の家、屋号「佐直」と称し、脇町で一、二を競った豪商で、敷地600坪に、主屋や蔵など5棟が残り、現在も一般公開されており、往時の豪商の暮らしぶりを見ることができます。ちなみに、主座敷では、棋士の佐藤康光氏と、羽生善治氏が対局した様子を再現していました。

 その他、意匠を凝らした欄間や、兎や袋のモチーフで縁起担いだ釘隠しなど他にも様々な建築様式を見ることができます。階段や、そうそう便所もチョッと驚くかもです。

 弊社の親会社である、株式会社 岡本銘木店は、現在も大阪欄間の職人が働いており、大阪欄間を製作しております。見学も出来ますので、ご興味のある方はHPよりお問い合わせください。

 

 また、「うだつ」だけでなく、屋根近くに設けられた明り取りの「虫籠窓(むしこまど)」、細木を丁寧に配した「格子窓」、古くからの雨戸である、「蔀戸(しとみど)」なども見ることが出来ます。

 白壁と本瓦、木製の建具。その町並みの中を歩き、少しのんびりとした気持ちにさせてくれました。

 ここ、脇町以外にもう一か所だけ、岐阜県美濃市に『うだつの町並み』があるそうです。

 

  今日のお話は、早瀬 淳でした。 お付き合いいただきありがとうございました。

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